ウェストコースト・ロックの聖地 ローレル・キャニオン
映画『ローレル・キャニオン』に見るミュージシャンの音楽コミュニティ
貴重なドキュメンタリーが映し出すLAの音楽シーン
『ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック/Laurel Canyon』2020年 アリソン・エルウッド監督
おすすめ映画のページでも紹介した興味深いドキュメンタリー映画です。ロサンゼルス近郊の丘陵地帯ローレル・キャニオンに何故多くのミュージシャン達が暮らしていたのか、そこからどんな音楽がどう生まれたのか。ジョニ・ミッチェルやCSN&Y、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット、J.Dサウザーなどウェストコースト・ロックを代表するミュージシャンが多数登場、当時の名曲も楽しめます。
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夢のカリフォルニアに集うミュージシャンたち
映画の冒頭に流れるのはザ・タートルズの「ハッピー・トゥゲザー」で、始まった途端に懐かしくて引き込まれてしまいました。ローレル・キャニオンが音楽の聖地になったのは60年代の中頃、ザ・バーズのロジャー・マッギンとデヴィッド・クロスビーが家賃の安さやロスの仕事場に近いことからハリウッドヒルズの渓谷に引っ越してきたことに始まります。彼らが「ミスター・タンブリン・マン」でヒットを飛ばしたことがきっかけで、他のミュージシャンたちも次々と集まってきたのだそうです。
引っ越してきた順番からいうとザ・ママス&ザ・パパスのキャス・エリオットとドアーズのジム・モリソン、スティーヴン・スティルスとニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、グラハム・ナッシュ、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタットとJDサウザー、そしてイーグルスを結成することになるドン・ヘンリーとグレン・フライなど。ザ・モンキーズのミッキーやピーターもいたしジョーン・バエズとフランク・ザッパは60年代の始め頃から住んでいました。
錚々たる顔ぶれを見ると、ローレル・キャニオンはまさに夢のカリフォルニア、ウェストコースト・ロックの聖地に相応しい場所だったのだと納得がいきます。日本の漫画の聖地トキワ荘は手塚治虫の成功が呼び寄せた貧乏な漫画家たちの修行の地、キャニオンは才能あるミュージシャンたちが引きつけられるように集まって音楽コミュニティを築いた場所でした。成功を夢見る若者たちが集う風呂なしトイレ共同のアパートと明るいカリフォルニアの広い住居。時代も場所もジャンルも違うとは言え、なんだか対照的です。
ローレル・キャニオンから生まれた名曲たち
当時のローレル・キャニオンでは鍵の掛かっていないお互いの家を自由に行き来して創作活動を楽しんでいて、CSNはリビングで美しいハーモニーを響かせ、グラハム・ナッシュはジョニ・ミッチェルとの生活を歌った「僕達の家(Our House)」を書いています。ジョニ・ミッチェルの「レディズ・オブ・ザ・キャニオン(Ladies of the Canyon)」や、ジャクソン・ブラウンの「ドクター・マイ・アイズ(Doctor My Eyes)」もここから生まれました。ちなみにザ・ママス&ザ・パパスの「夢のカリフォルニア(California Dreamin’)」は、ジョン・フィリップスとミシェルが冬のニューヨークで西海岸に憧れて書いた曲で、LA移住後にヒットしたのだそうです。
その他にもクロスビー、スティルス&ナッシュの「組曲:青い眼のジュディ (Suite: Judy Blue Eyes)」やジョニ・ミッチェルの「カリフォルニア (California)」、リンダ・ロンシュタットの「ブルー・バイユー(Blue Bayou)」にイーグルスの「テイク・イット・イージー(Take It Easy)」、ジェームス・テイラーの「ファイアー・アンド・レイン (Fire and Rain)」やジャクソン・ブラウンの「孤独なランナー (Running on Empty)」など懐かしい曲がたくさん映画の中で流れてきます。
60年代カウンターカルチャーの終焉~理想郷が変容した1969年
開かれたコミュニティの雰囲気が変わる出来事があったのが1969年。タランティーノの映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の題材にもなった、マンソン・ファミリーが起こした凄惨な事件です。同じロサンゼルス郊外にあったものの理想の共同体が崩れていく象徴でもあった彼らのコミュニティは、温かく創造的なローレル・キャニオンとはまったく違います。
映画『ローレル・キャニオン』の中で、デヴィッド・クロスビーが“現場が近くなので生まれて初めて散弾銃を買った”と話すシーンがありました。グラハム・ナッシュは“僕らが住む美しい世界はあの殺人で一気に破裂してしまった”と語っています。同じ年にストーンズがオルタモントで開催した無料の野外コンサートでは、警備を担当したヘルズ・エンジェルスに観客が殺されるという事件がありました。カリフォルニアで起きた2つの悲しい出来事は、60年代カウンターカルチャーの終焉を象徴しています。キャニオンの家のドアにも鍵が掛けられるようになり、ミュージシャンたちが住む音楽の理想郷は変容しつつあったのです。
キャニオンが生んだドリームチーム『鷲(イーグルス)』が羽ばたくまで
イーグルスの成功とローレル・キャニオンの終焉
リンダ・ロンシュタットのバックバンドのメンバーだったドン・ヘンリーとグレン・フライは、彼女の助言もありバンドを結成することになりました。フライング・ブリトー・ブラザーズにいたギターとバンジョーのバーニー・リードンはカントリーロック・スタイルの基礎を作り、ポコのメンバーだったベースのランディ・マイズナーは高音のハーモニーの核となり、バーニー・リードンの旧友だったドン・フェルダーの加入はロックバンドとしての力強さを補強しました。元ジェイムス・ギャングのジョー・ウォルシュの荒々しいギターは、イーグルスがカントリーロック・バンドからワールドツアーを行うロックバンドへと変貌する過程を完成させたのです。
ローレル・キャニオンが生んだ最強のドリームチーム、イーグルスのサクセスストーリーはウェストコースト・ロック最大の成功例となりました。しかし彼らの成功に伴って音楽はビッグビジネスへと変貌し、キャニオンの誰かの家のリビングで生まれていた音楽はロスのスタジオで緻密に作り上げる音楽へと変わっていきます。イーグルスのメンバーはマリブの高級住宅地に居を構え、他のキャニオンの住人たちもミュージシャンの楽園だったこの地を次々と去っていきます。
レコードが売れるようになって、ローレル・キャニオンには熱狂的なファンやパパラッチも訪れるようになりました。喧騒を嫌ったジョニ・ミッチェルはより創作活動に集中できる場所を求めてキャニオンを離れ、ドラッグの問題もあったジェームス・テイラーは精神的な苦悩から逃れるためにキャリアの出発点でもある東海岸へと戻ります。CSN&Yのメンバーも成功による生活環境の激変やバンドの崩壊もあり去っていきました。聖地には終焉が訪れようとしていたのです。
イーグルスのキャリアのピークは何と言っても名盤『ホテル・カリフォルニア』をリリースした1976年です。カリフォルニアの夢の終焉を歌った切なく美しいタイトル曲はウェストコースト・ロックの聖地ローレル・キャニオンの終焉とも重なり、改めて聴いてみるとひとつの時代が終わったのだなと感慨深いものがありますね。ミュージシャンが売れることがもちろん悪いわけではなく、彼らの夢が現実になったときに楽園も終わりを迎えたのだと思います。
カリフォルニアの光と影
映画『ローレル・キャニオン』はロス郊外の渓谷に集まったミュージシャンたちに焦点を当てることで、そこに生まれた光と影を浮き彫りにします。夢を追う若者たちを待っていたのは成功だけではなかったという事ですね。60年代から70年代という激動の時代を背景に、新しい音楽が生まれていく様子は当時を思い出して懐かしくもあり、楽しくもありました。学生の頃はカリフォルニアに憧れてUCLAとプリントされたTシャツがカッコいいなどと思っていたのです。
その後社会人になって一度だけロサンゼルスに行く機会があったのですが、美しいヴェニスビーチの砂浜にピックアップトラックが停まっていたのが印象的でした。驚いたのはロス市内で見たパトカーの運転席と助手席の間にショットガンが立て掛けてセットしてあったことで、やはり日本とは違うのだなと思いました。美しい海岸とショットガン、どちらもアメリカの現実です。



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