ウェストコースト・ロック特集:第3部

アサイラムの光と影

ジャクソン・ブラウンとアサイラム・レコード

ウェストコースト・ロックが生まれた背景には、売り出すのに不可欠な裏方たちの力がありました。今回焦点を当てるのは西海岸のミュージシャンの中でも若くしてスターとなったジャクソン・ブラウンと、彼を売り出すために設立されたアサイラム・レコードについて。始まりは1970年のロサンゼルスでした。

デヴィッド・ゲフィンとエリオット・ロバーツ

JACKSON BROWNE
ジャクソン・ブラウンが23歳でリリースしたファースト・アルバム。「Jamaica Say You Will」「Doctor My Eyes」収録の名盤です。ジャケットの金具みたいなデザインは何かなと思ったら、砂漠を走る車のフロントグリルに吊るす、キャンバス製の水袋がモチーフになっているのだそうです。”LOS ANGELS, CALIFORNIA”と書かれているのもお洒落でいいですね。

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10代の頃からプロのソングライターとしてヴェルヴェット・アンダーグラウンドのニコに「These Days」などの楽曲を提供していたジャクソン・ブラウンが、アルバムを作るために写真を同封したデモテープを1970年にゲフィン=ロバーツ・マネジメントに送ったところ、エリオット・ロバーツの目にとまりました。彼の推薦を受けたゲフィンも彼のルックスと音楽からスターになると確信してレコード会社へ売り込むのですが、“歌詞が長過ぎる”あるいは“地味だ”などの理由で軒並み断られてしまいます。

ここから本領を発揮するのがデヴィッド・ゲフィンで、それなら自分でレコード会社を作ってやる!ということになったのです。こうして誕生したのがアサイラム・レコードで、Asylum(避難所・聖域)にはミュージシャンが自由でいられる場所という意味も込められていたそうです。ビジネス面では有能だが冷徹で強引なところもあるゲフィンと、音楽愛が深くミュージシャンたちに信頼されたロバーツのコンビは、ローレル・キャニオンにもほど近いLAのサンセット・ストリップで本格的に音楽を生み出すビジネスを始めます。

アサイラム・レコードから生まれた名盤たち

アサイラムは自前のスタジオを持たずに、サンセット・サウンドやクリスタル・サウンドなど、それぞれのミュージシャンに適した音を作る外部のスタジオを使うという手法を取っていました。主なアルバムを挙げてみると、ジャクソン・ブラウンのファーストと『For Everyman(フォー・エヴリマン)』、イーグルスのデビューアルバムと『Desperado(ならず者)』、J.D.サウザーのデビューアルバム『John David Souther(ジョン・デヴィッド・サウザー)』、ジョニ・ミッチェル の『For the Roses(バラにおくる)』、リンダ・ロンシュタットの『Don’t Cry Now(ドント・クライ・ナウ)』などです。

EAGLES
同じアパートに住んでいたジャクソン・ブラウンとグレン・フライが共作したのが、カラッと爽やかなデビュー曲「テイク・イット・イージー」です。LAのミュージシャン同士の濃密な関係から生まれた名曲ですね。他に「Witchy Woman (魔女のささやき)」など収録のデビューアルバムで、イーグルスの大きな特徴である美しいコーラスも楽しめます。


John David Souther
J.D.サウザーのデビューアルバム。1曲目はゴリゴリのカントリーソングですが、2曲目以降のバラードを聴くと綺麗なメロディーを書くソングライターとしての才能に秀でていることがよく分かります。ジャクソン・ブラウンやイーグルスもそうですが、新しい才能を見出す嗅覚がアサイラム・レコードにあったこともよく分かりますね。


Don’t Cry Now
キャピトルからアサイラムへ移籍後の第1作。イーグルスの「デスペラード」は、リンダ・ロンシュタットがこのアルバムでカバーしたことからヒットしました。彼女のゆったりとした余裕のあるボーカルで歌の上手さを堪能できる名盤。プロデュースにはジャクソン・ブラウンが参加、当時の恋人だったJ.D.サウザーもタイトル曲など数曲を提供しています。


デヴィッド・ゲフィンがスタジオやセッション・ミュージシャンに金を惜しまず制作に時間を掛け、所属ミュージシャンたちの良きパートナーでもあったエリオット・ロバーツがディレクションなど現場の指揮を取ったことで、アサイラム・レコードは多くのヒットアルバムを生み出すことになりました。当然そこからは莫大な利益が生まれるのですが、彼らのビジネスは思わぬ方向に進むことになります。

インディーズ・レーベルから巨大音楽産業の一部へ

更なる野望に燃えるデヴィッド・ゲフィンは、エリオット・ロバーツにも相談することなく1972年の9月に、アサイラム・レコードをワーナー・コミュニケーションズに当時の金額で700万ドルという破格の対価で売却します。アサイラムはワーナー傘下のエレクトラ・レコードと合併してエレクトラ/アサイラム・レコードとなり、ゲフィンは会長に就任しました。

新人を発掘して育て上げ、デビューアルバムがヒットしてレーベルの価値が上がったところで売り抜けるという形になったわけで、設立からわずか1年半ほどの出来事ですからミュージシャンたちの信頼を失ってしまうのは当然です。Asylum(避難所・聖域)に集まった若き才能たちのコミュニティは崩壊を迎え、最初にブレイクしたジャクソン・ブラウンも大きな失望を味わうことになります。


THE PRETENDER
ジャクソン・ブラウンが妻を亡くし、デヴィッド・ゲフィンにも失望して苦悩に満ちた時期に作ったアルバム。そのせいか1曲目の「The Fuse」のピアノのイントロは沈鬱な響きに聴こえます。最後のタイトル曲(PRETENDER=ふりをする≒自分を偽って生きている者)を歌う彼の声は、痛々しく苦しい胸の内を晒しているかのようです。

ウェストコースト・ロックが純粋だった時代の終わり

ジャクソン・ブラウンはゲフィンがレーベルを売却し、イーグルスやリンダ・ロンシュタットが去ったあとも、アルバム『アイム・アライヴ』を発表するまで約22年間に渡ってアサイラム・レコードに残ります。デビューアルバムを出したレーベルへの愛情やゲフィンへの反発など葛藤もあったのだろうと思いますが、93年に彼がアサイラム・レコードを離れたことでミュージシャンたちの安息の場でもあった聖域は完全に終わりを迎えたのです。

レーベル売却時に若干29歳でワーナーの筆頭株主にもなっていたデヴィッド・ゲフィンは、その後ワーナー・ブラザーズの副会長まで上り詰めます。ミュージシャンたちを守る壁にもなっていたエリオット・ロバーツは、ゲフィンとのパートナーシップを解消してマネジメント会社「ルックアウト・マネジメント(Lookout Management)」を設立、ニール・ヤングやジョニ・ミッチェルらのマネージャーとしてミュージシャンと共に歩むことになります。


HARVEST MOON
ニール・ヤングがアルバム『Trans』と『Old Ways』でデヴィッド・ゲフィンを激怒させ、訴訟沙汰にまで発展した後に発表した傑作。エリオット・ロバーツはニール・ヤングを庇う盾になり、ゲフィンはその後自らの非を認めて謝罪することになります。タイトル曲は平穏を取り戻したからか、静かでゆったりとした名曲です。


1967年にバッファロー・スプリングフィールドが録音をしていたLAのサンセット・サウンド・スタジオで出会って以来、50年以上に渡って苦楽を共にしたエリオットが2019年に亡くなった際に、ニール・ヤングは“エリオット・ロバーツは史上最高のマネージャーだった”という感謝を込めた追悼の言葉を残しています。

ジャクソン・ブラウンは初期のゲフィン=ロバーツ・マネジメント事務所の雰囲気について、“エリオットのオフィスはミュージシャンのたまり場だった。そこには競争ではなくお互いの新しい歌を聴き合い、刺激し合う純粋な自由があった。エリオットはその自由を守るための壁になってくれていた”と語っています。

冷徹にビジネスを優先して富を築いたデヴィッド・ゲフィンとアーティスト・ファーストの姿勢を貫いたエリオット・ロバーツ、そして二人に見出されて成功したものの、葛藤を抱えながらミュージシャンとしての人生を歩んだジャクソン・ブラウン。多くの名曲や名盤を生んだアサイラム・レコードの身売りは、ウェストコースト・ロックが純粋だった時代の終わりを象徴する出来事でもありました。


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